東京地方裁判所 昭和50年(ワ)2971号 判決 1980年10月31日
原告 吉田め
右訴訟代理人弁護士 富岡桂三
同 富岡恵美子
被告 東京瓦斯株式会社
右代表者代表取締役 都留勝利
右訴訟代理人弁護士 水田耕一
被告 田中ひ子
右訴訟代理人弁護士 石川幸佑
被告 並木秀尾
右訴訟代理人弁護士 日野和昌
被告 水島達夫
右訴訟代理人弁護士 椎名麻紗枝
被告 永井清延
主文
一 被告田中ひ子、同並木秀尾、同永井清延は、原告に対し、各自、金一、四七八万六、三二〇円及び内金一、三四九万六、三二〇円に対する昭和五〇年二月一八日から、内金一二九万円に対する昭和五五年一〇月三一日から、各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 右被告三名に対するその余の請求及び被告東京瓦斯株式会社、同水島達夫に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告と被告田中ひ子、同並木秀尾、同永井清延との間においては、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を右被告三名の負担とし、原告と被告東京瓦斯株式会社、同水島達夫との間においては、全部原告の負担とする。
四 この判決は、第一項について、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
〔請求の趣旨〕
一 被告らは、原告に対し、各自、金三、三九五万九、〇二〇円及びこれに対する昭和五〇年二月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告らの負担とする。
三 仮執行の宣言。
〔請求の趣旨に対する答弁〕
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二当事者の主張
〔請求原因〕
一 事故の発生
吉田アサ子は、昭和四九年四月一六日、東京都中野区松ヶ丘一丁目二二番一七号所在、アパート松風荘一階二号室の浴室で、一酸化炭素中毒によって死亡した。
二 事故の原因
本件浴室は、本件建物の中央部にあって、窓がなく、密閉されており、そこにガスふろがまが排気ガス噴出口を開けて置かれていたが、燃焼した排気ガスを浴室外に出す排気管、排気口などの排気設備がないうえ、浴室外の空気を取り入れる換気口、通風管などの換気設備もなかった。そのため、吉田アサ子は、ガスふろがまで湯を沸かして入浴したが、不完全燃焼した排気ガスが浴室内にたまって一酸化炭素が発生し、死亡事故を起こしたのである。
三 被告らの責任
1 被告会社は、危険な物質を一般家庭に供給するガス事業者として、ガスの不完全燃焼による中毒事故を防止するため、排気設備、換気設備がないことによってガスによる中毒事故が発生する危険があるときは、配管工事をせず、その安全を確認するまでガスの供給を停止するなどの措置をとるべき義務がある。このことは、ガス事業法第四〇条の二第四項及び同法施行規則第八五条の規定によって明らかである。それなのに、被告会社は、右義務を怠り、排気設備などがない本件浴室に配管工事をしてガスを供給した過失がある。また、通商産業省公益事業局長は、昭和三二年一月、被告会社を含むガス事業者に対し、ガス浴室には換気窓を設けることを使用者に周的徹底させること及びガス器具などが良好な状態に維持されているかどうかの点検を励行することを通達しているが、被告会社は、右通達に係る事項を実施しなかった。
2 被告田中は、本件建物の所有者であり、吉田アサ子に対する賃貸人であったので、賃貸物件に危険箇所があれば、すぐ当該箇所を修理して賃借人の生命、身体の危険を防止すべき契約上の義務がある。それなのに、被告田中は、右義務を怠り、本件浴室には前記のように重大な構造上の欠陥があり、ガスの不完全燃焼による中毒事故が発生する危険があることを知りながら、これを放置して賃貸した過失がある。
3 被告並木は、本件建物の建築工事をした者であるが、本件浴室が本件建物の中央部にあったので、排気設備、換気設備を完備して、ガスの不完全燃焼による中毒事故を防止すべき義務がある。それなのに、被告並木は、右義務を怠り、排気設備などを設置しないで、窓がなく、密閉された本件浴室を建築した過失がある。
4 被告水島は、本件浴室にガスふろがまを設置した者であるが、本件浴室が本件建物の中央部にあって、排気設備、換気設備がないことを知りながら、燃焼した排気ガスが浴室内に充満する不完全なガスふろがまを設置した過失がある。
5 被告永井は、被告田中から本件建物の設計、注文及び工事監督を一任され、被告田中に代わってこれらを担当した者であるが、窓がなく、密閉された本件浴室にガスふろがまを設置するに当たっては、ガスの不完全燃焼による中毒事故を防止するため、排気設備、換気設備を完備することを被告並木に注意、監督すべきであったのに、これを怠り、何ら必要な措置をとらなかった過失がある。
四 損害
1 吉田アサ子の逸失利益
二、七五九万一、一八五円
吉田アサ子は、昭和三六年七月、美容師の資格を取得したが、昭和四八年八月からホステスになり、本件事故当時、一か月平均二〇万二、八四八円の給与を得ていた。同女は、満四六歳になるまでホステスとして勤務することが可能であり、その後は満六七歳になるまで少なくとも一般女子労働者と同額の収入を得られたので、その逸失利益は、別表Ⅰ記載のとおりになる。
原告は、吉田アサ子の母として、同女の右逸失利益の損害賠償請求権を相続によって取得した。
2 葬儀費用 二三万五、八三五円
3 慰謝料 三〇〇万円
4 弁護士費用 三一三万二、〇〇〇円
原告は、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任し、その着手金として五万円を支払い、勝訴のときに認容額の一〇パーセントを支払うことを約した。
五 よって、原告は、被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権(被告田中に対しては、右のほか、債務不履行による損害賠償請求権)に基づき、各自、前項の損害金合計三、三九五万九、〇二〇円及びこれに対する本件事故発生の日の後である昭和五〇年二月一八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
〔請求原因に対する被告会社の認否〕
一 請求原因第一項のうち、吉田アサ子の死因は知らないが、その余の事実は認める。
二 請求原因第二項の事実は知らない。
三 請求原因第三項のうち、被告会社が本件建物に配管工事をしてガスを供給したことは認めるが、その余の事実は争う。
被告会社には、本件事故に対する責任はない。
1 原告は、被告会社に対し、排気設備、換気設備がない本件浴室にガスの配管工事をした過失があると主張する。
しかし、被告会社が本件建物にガスの配管工事をしたのは、まだ新築工事中のことであり、本件浴室も未完成の状態にあった。したがって、この段階では、被告会社は、本件浴室に排気設備、換気設備があるかどうかを判断する仕様がなかったのである。
そもそも浴室に換気設備を設けなければならないとの要求は、建築基準法の定めるところであって(第二八条第三項)、建物の新築に当り、その建物が同法の要求を満たすものであるかどうかについては、建築確認申請(第六条)及び完了検査(第七条)の手続を通じて、建築主事による厳重な監査がされることになっている。それゆえ、被告会社がガスの配管工事をするに当たっては、建築主事によって建築基準法に定める厳重な監査がされることを当然の前提として配管工事をすれば足り、また建物が建築中であるにもかかわらず、その段階で換気設備がないことを理由として配管工事を拒絶することはできない。
2 原告は、被告会社に対し、その安全を確認しないで排気設備、換気設備がない本件浴室にガスを供給した過失があると主張する。
しかし、被告会社は、ガス供給施設及びガス機器に対する検査の権限と義務を有するにとどまる。しかも、後に詳述するとおり、被告会社は、ガス事業法によってガスの供給を義務づけられている(第一六条第一項)ので、ガス供給施設及びガス機器に欠陥がない以上、ガスの供給を停止することは許されない。けだし、それ以上は、ガスの使用者によるガス機器の使い方の問題に帰し、使用者が注意を払えば安全にガスを使用し得るからである。本件事故の場合、本件浴室内のガス栓、ガス配管、バーナーその他のガス供給施設及びガス機器には、全く異常がなかったし、現に、吉田アサ子の前の居住者である石井孝弘一家は、昭和四八年五月から昭和四九年二月末日まで同じガスふろがまを安全に使用している。そうすると、被告会社には、ガスの供給を停止すべき何らの理由もなかったのであって、この点に関して被告会社に義務懈怠の過失はない。
3 ガス事業法第四〇条の二第四項の規定について
ガス事業法第四〇条の二第四項は、ガス事業者に対し、ガスによる災害に関する緊急措置をとるべき義務を課したものである。被告会社その他のガス事業者は、この規定を受けて、一日二四時間にわたる緊急出動態勢をとり、要請があれば(ないし自ら事故を発見したときは)、直ちにガス導管のバルブの閉鎖その他の必要な緊急措置を講じ得る態勢を整えている。このような同項の趣旨からして、同項にいう「ガスによる災害が発生するおそれがある場合」とは、漏れたガスのにおいが強くするとか、ガス管が破損して現にガスが漏れているとかというような差し迫った災害の危険がある場合を指しているのである。したがって、たとえガスによる災害が発生するおそれはあっても、使用者がガスの使用に注意するか、ないしは自ら必要な措置を講ずることによって災害の発生を防止できる場合には、同項の「ガスによる災害が発生するおそれがある場合」には該当しない。けだし、この場合には、ガスの使用者がガス事業者に対して緊急措置を求めるまでもなく、自らの注意により、ないしは自ら必要な措置を講ずることにより、災害の発生を防止できるからである。本件事故の場合、ガスの使用者である吉田アサ子がガスの使用に注意するか、ないしは本件建物の居室の賃貸人に対して必要な給排気の設備を設けることを要求すれば、ガスによる災害の発生を防止できたのであって(ガス事業者である被告会社としては、たとえ要請があっても、この場合にとるべき適切な措置はなかった。)、災害の発生が差し迫った状況には全くなかったから、ガス事業法第四〇条の二第四項所定の義務が被告会社にあったものとみる余地はない。
4 ガス事業法施行規則第八五条の規定について
ガス事業法施行規則第八五条は、その規定自体によって明らかなように、ガス事業法第四〇条の二第二項の規定に関するものであって、同条第四項の規定に関するものではない。すなわち、同条第四項に定める「ガスによる災害が発生するおそれがある場合」とガス事業法施行規則第八五条との間には、何らの関連もない。
5 ガス事業者の供給義務について
ガス事業者は、ガス事業法第一六条第一項により、ガスの供給を義務づけられている。自己の裁量によって、ガスを供給したり、供給しなかったりする自由は存在しない。
原告が挙げるガス事業法施行規則第八五条についても、ガスふろがまに関する同条第一号所定の基準(有効な排気が行なわれる措置が講じられていること。)に適合させるためにガス事業者がとり得る措置は、ガス事業法第四〇条の二第一項ないし第三項によって明らかなとおり、周知、調査及び通知にとどまり、ガス供給の停止ではない。更に、ガス事業法第四〇条の三は、同法施行規則第八五条所定の基準に適合しない消費機器について、通商産業大臣が当該機器の所有者又は占有者に対し消費機器の修理、改造又は移転を命じ得るものとしているが、通商産業大臣の権限でさえ、右の範囲に限定されているのであって、ガス供給の停止までは含まれていない。これらの規定に照らすとき、ガス事業者が、ガスふろがまなどの消費機器がガス事業法施行規則第八五条所定の基準に適合していないとの理由の下に、ガスの供給を停止し得る権限を有しないことは明らかである。すなわち、消費機器が同条所定の基準に適合していないとの事実は、ガス事業者がガスの供給を拒絶すべき正当な事由たり得ないのである。本件事故の場合、被告会社にガスの配管工事の中止やガスの供給を停止(開通の拒否)する自由がなかったことは、ガス事業法第一六条第一項、第四〇条の二第一項ないし第三項、第四〇条の三の規定に照らして明らかである。
6 原告は、被告会社に対し、ガス浴室の使用に関する周知義務の懈怠があると主張する。
しかし、被告会社の委託を受けた作業員髙橋茂は、昭和四九年四月一五日、吉田アサ子の申込みを受けてガス開通のために本件建物の同女の居室に赴いた際、本件浴室に換気設備がないことを認めて、同女に対し、換気に十分注意して入浴することを告げるとともに、「ガスは正しく使いましょう」と題するパンフレットを手渡して、本件浴室の使用に関して十分注意を喚起している。
7 原告は、被告会社に対し、ガス器具などが良好な状態に維持されているかどうかの点検義務の懈怠があると主張する。
しかし、本件事故の場合、前記のとおりガス供給施設及びガス機器には全く異常がなかったから、原告の主張は、その前提を欠くものである。
四 請求原因第四項の事実は知らない。
〔請求原因に対する被告田中の認否〕
一 請求原因第一項のうち、吉田アサ子の死因は知らないが、その余の事実は認める。
二 請求原因第二項のうち、本件浴室に関する事実は認めるが、吉田アサ子に関する事実は争う。
三 請求原因第三項2のうち、被告田中が本件建物の所有者であり、吉田アサ子に対する賃貸人であったことは認めるが、その余の事実は否認する。被告田中は、かねてから、本件建物の売主である被告永井及びその建築工事をした被告並木に対し、本件浴室にすぐ排気設備、換気設備を設置するように指示していたし、吉田アサ子の入居に際しては、このことを同女に言って、同女から、排気設備などの設置が遅れていることの承諾を得たし、本件浴室に排気設備などが設置されるまで換気に十分気をつけて入浴するように注意した。
四 請求原因第四項の事実は知らない。
〔請求原因に対する被告並木の認否〕
一 請求原因第一項のうち、吉田アサ子の死因は知らないが、その余の事実は認める。
二 請求原因第二項のうち、本件浴室が本件建物の中央部にあって換気設備がなかったことを認める。しかし、換気は、本件浴室のドアによって可能であった。
三 請求原因第三項3のうち、被告並木が本件建物の建築工事をした者であること、本件浴室が本件建物の中央部にあったこと、被告並木が換気設備を設置しないで本件浴室を建築したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告並木は、被告田中から本件建物の建築工事を請け負った被告永井の下請人として本件建物の建築工事をしたが、右下請工事には、ガス工事が含まれていなかった。また、被告並木は、本件建物の建築工事に着手する前、被告永井が作成した本件建物の設計図を見て、本件浴室の位置などを変えるように言ったが、被告永井から、設計図どおり建築するように指図を受けたので、下請人として右指図に従わざるを得なかった。
四 請求原因第四項の事実は知らない。
〔請求原因に対する被告水島の認否〕
一 請求原因第一項の事実を認める。
二 請求原因第二項のうち、吉田アサ子がガスふろがまで湯を沸かして入浴したが、不完全燃焼した排気ガスが浴室内にたまって一酸化炭素が発生し、死亡事故を起こしたことを認める。
三 請求原因第三項4のうち、被告水島が本件浴室にガスふろがまを設置した者であること及び排気設備がないことを知っていたことは認めるが、その余の事実は争う。
四 請求原因第四項の事実は知らない。
〔請求原因に対する被告永井の認否〕
一 請求原因第一項及び同第二項の事実は知らない。
二 請求原因第三項5の事実を否認する。
三 請求原因第四項の事実は知らない。
〔被告田中、同並木の抗弁〕
仮に被告田中、同並木に本件事故に対する責任があるとしても、吉田アサ子は、被告田中から、本件浴室の換気に十分気をつけて入浴するように注意を受けながら、これに対する配慮をしなかったのであるから、本件事故の発生については、同女にも過失がある。
〔被告田中、同並木の抗弁に対する認否〕
右抗弁事実を否認する。
第三証拠《省略》
理由
一 事故の発生
《証拠省略》によれば、吉田アサ子(昭和一六年一一月一五日生)は、昭和四九年四月一一日、被告田中から、同被告の所有する東京都中野区松ヶ丘一丁目二二番一七号所在、木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建共同住宅、床面積一階四五・五〇平方メートル、二階四七・八七平方メートル、アパート松風荘の一階二号室を賃借することになり、同月一四日、右居室に引っ越してきたが、同月一六日午前一時三〇分ころ(推定死亡時刻)、右居室内の本件浴室で、顔を浴槽の湯の中につけた状態で死亡したこと、なお、隣室の居住者である田巻美代子が本件浴室の異常な音を聞いて交番に通報し、その通報を受けた警察官が吉田アサ子の居室に立ち入って本件浴室を見たとき、浴室入口のドアが約二〇度ぐらい開かれており、ガスバーナーが閉まっていたことが認められる。
二 事故の原因
《証拠省略》によれば、警視庁科学検査所第一化学科主事利根川照夫が昭和四九年四月一六日に本件事故現場で本件浴室の一酸化炭素発生の状況について実施した鑑定の経過及びその結果は、次のとおりであることが認められる。
1 本件浴室は、本件建物内部の玄関、ダイニングキッチン、三畳間、六畳間及び隣室(別世帯)などに囲まれた状態のところに位置し、屋外に面した箇所がない。浴室の大きさは、間口約一五三センチ、奥行約一二二センチ、天井の高さ約二四〇センチ、一部浴槽、ふろがまが設置されている箇所は、床面が約三〇センチ低くなっている。浴室内床面洗い場は、タイル張りで、周囲壁面を下から約一〇五センチの間がタイル張りになっており、他の部分は、入口を除いて漆喰壁面で、入口には、高さ約一七二・五センチ、幅約七九センチの木製ドアがあるが、特に換気孔などは設けられていない。また、浴室内全体としても、壁面、天井いずれの箇所にも排気、換気孔や窓の設備がない。浴室内東側の床面が低くなった箇所には、都市ガス用ふろがま(外釜式)と浴槽が設置されている。ふろがまは、高さ約三四センチ、幅約二四センチ×約二四センチ、上部に直径約一〇センチ、長さ約五五センチの逆風止め煙突が取り付けられているが、排気は、浴室内に排出される状況であり、焚き口には、世田谷製作所製二号ステンレス製バーナーが使用されている。浴槽は、内径約六九・五センチ×約五九・五センチ、深さ約六一センチのポリ浴槽が用いられている。ガスは、浴室内東側壁体の一三ミリ一口カランからゴム管によってバーナーまで配管されている。
2 浴室入口のドアを開け、ふろがまにガスを導入、点火、燃焼し、排気筒上方部で排気中の一酸化炭素量を測定した結果及び浴室入口のドアを閉め、再度ふろがまにガスを導入、点火、燃焼し、浴室内の床面から約一七〇センチの位置で排気中の一酸化炭素量を測定した結果は、左記のとおり。
記
一酸化炭素量(%)
燃焼経過時間(分) 〇 三分後 五分後 八分後 一〇分後
浴室ドア開放 〇 〇 〇 〇
浴室ドア閉止 〇 〇・〇二 〇・〇九 〇・一八
ドア閉止時は、経時的に一酸化炭素量が増加するので、約八分で測定を中止した。
なお、ガス配管用ゴム管、ガスふろがまの器具自体からの生ガスの漏洩は認められず、器具内バーナーの一次空気孔などにも異常がなく、器具は、正常な状態であった。
3 前記諸検査の結果、ガスふろがま自体には、何ら異常箇所がなく、浴室入口のドアを開けて燃焼するときには一酸化炭素の発生が認められなかったが、浴室入口のドアを閉めて燃焼すると、約五分で著明に一酸化炭素の発生が認められた。これは、浴室に窓、換気孔などがなく、密閉された室内であるために燃焼時の排気ガスが浴室外に排出されないで浴室内に排出され、排気中の二酸化炭素が浴室内に蓄積される状態にあり、更に、燃焼に必要な空気の吸入孔がないために完全燃焼を継続するだけの空気量が不足して不完全燃焼を起こし、その結果、一酸化炭素が発生してくることと思われる。
4 以上による鑑定の結果として、本件浴室内でガスふろがまを点火して燃焼すると、浴室内及び浴室入口のドアに換気、排気装置がなく、更に、ガスふろがまの排気筒が浴室内に排気されるために燃焼に必要な空気量が不足して不完全燃焼を起こし、一酸化炭素が発生したものである。浴室内のガス栓、ガス配管、バーナーには異常がなく、生ガスの漏洩箇所も認められない。
また、《証拠省略》によれば、右鑑定の補足として、本件浴室におけるドア閉止の状態での八分後までの一酸化炭素量を測定した結果からして、約二〇分後には約一パーセントの一酸化炭素量になり、この中に人が入れば約一〇分ぐらいで死に至り、これが約三〇分後の一酸化炭素量になれば更に増加し、密閉された状態であれば、おそらく人が浴室に入った瞬間死に至るものと推認されることが認められる。
《証拠省略》によれば、本件事故後、わずか数万円程度の費用で、本件浴室入口のドアに高さ約一五センチ、幅約二〇センチのよろい戸式換気孔を設け、浴室から台所までの天井の下に一部壁面を突き抜いて屋外に通ずる煙突を取り付けるなどの換気、排気装置設置工事を行なった結果、ガスふろがまを使用して安全に入浴し得るようになったことが認められる。
以上に認定した事実及び《証拠省略》によれば、本件浴室内でガスふろがまを点火して燃焼すると、浴室内及び浴室入口のドアに換気、排気装置がなく、更に、ガスふろがまの排気筒が浴室内に排気されるために燃焼に必要な空気量が不足して不完全燃焼を起こし、一酸化炭素が発生するところ、吉田アサ子は、ガスふろがまで湯を沸かして入浴したが、本件浴室内に発生した一酸化炭素による中毒によって意識を失い、死亡事故を起こしたものと推認される。
三 被告田中、同並木、同永井の責任について
《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
被告田中は、昭和四七年九月一五日、小林商事こと小林重三の仲介によって宅地建物取引業を営む被告永井との間で、被告永井が建築する本件建物(その種類、構造及び床面積や間取りなどについては、あらかじめ両者間で打合せをしている。)及びその敷地約八九・二五平方メートル(私道部分を含む。)を、代金一、五八〇万円(建物代金として五九四万円、土地代金として九八六万円。)で、被告永井から買い受ける旨の契約を締結した。次いで、被告永井は、そのころ、並木工務店との屋号で建築業を営む被告並木との間で、一、二階とも各二所帯が入れるアパートとして本件建物を、代金四四五万五、〇〇〇円で、被告並木に建築することを請け負わせる旨の契約を締結した。被告並木は、大工であるが、建築士の資格がなかったので、同年一〇月一日ころ、被告永井から紹介された佐山建築設計事務所の二級建築士佐山政昭に対し、建築主を便宜的に被告田中名義として本件建物の建築確認申請手続をすることを委任した。しかし、被告永井から注文を受けた本件建物の設計では、建ぺい率などの関係から到底建築主事の確認を受けられない(このことは、被告永井、同並木とも初めから十分知っていたことである。)ので、佐山は、新たに建築基準に適合する建物の設計をして建築主事の確認を受けた。それなのに、被告並木は、被告永井の同意の下に、右確認を受けた建物の設計とは全く異なる本件建物(違反建築物)を建築し、完了検査の手続をとらず、したがって、検査済証の交付も受けなかった。被告田中は、本件建物及びその敷地の売買代金として、昭和四七年九月一六日に五〇万円、同月二〇日に二五〇万円、同年一二月二三日に一、〇八〇万円、同月三〇日に二〇〇万円、合計一、五八〇万円を被告永井に支払い、昭和四八年一月一七日までに土地の所有権移転登記及び被告田中名義による本件建物の所有権保存登記を経由し、昭和四八年一月一九日、被告永井、同並木立会いの下に、表の鉄柵の取付けなど若干の部分を残しただけで、ほぼ完成した本件建物の引渡しを受けた。ところで、本件浴室には、被告永井の指示に基づく被告並木の注文によって被告水島がガスふろがま及び浴槽を取り付けたのであるが、換気、排気装置がなかったので、被告田中は、右建物引渡しの際、被告永井、同並木に対し浴室入口のドアに通風口を付けるよう依頼し、右被告両名は、その取付けを約束した。被告田中は、昭和四八年五月一九日ころから昭和四九年三月一〇日ころまで石井孝弘に対して後に吉田アサ子が賃借することになった居室を賃貸したが、右賃貸の際にも、被告永井、同並木に対して前同様のことを依頼し、また、石井の妻である石井由美子が入居後まもなく被告田中に対し、本件浴室に換気、排気装置がなく危険なので換気扇を付けるよう何度か依頼したので、このことを右被告両名に伝えた。しかし、被告並木は、昭和四八年夏ころ、一度本件浴室入口のドアに換気孔を付けるために石井孝弘の居室に赴いたが、同人の幼児がはしかで寝ていたので、石井由美子から後日に来てくれるよう言われて戻り、再び石井孝弘の居室に赴いたものの、このときは留守であったので何もしないで戻り、その後も何らの措置もとらないで時日を経過し、石井方では、ガスふろがまで湯を沸かして入浴するときには、本件浴室入口のドアを開け、換気に注意して入浴することにより、事無く過ごしていた。被告田中は、昭和四九年三月一〇日ころ、石井孝弘が他に引っ越したので、掃除のために同人が出た後の居室に赴き、まだ本件浴室に換気、排気装置がないことを知ったので、そのことを被告並木に伝え、これを取り付けるよう何度か電話で依頼したが、被告並木は、二、三日にやるなどと適当に返事をしただけで、実際には何もしないでいたところ、同年四月一一日、石井孝弘が出た後の居室を吉田アサ子が賃借することになった。そこで、被告田中は、同日、また被告並木に対し、本件浴室に換気、排気装置を取り付けるよう電話で依頼し、被告並木は、その取付けを約束した。しかし、被告並木は、相変わらず何もしないでいるうち、同月一四日、吉田アサ子が引っ越してきたので、被告田中は、このとき吉田アサ子の居室に赴き、やむを得ず同女に対し、被告永井の妻も立ち会っているところで、本件浴室に換気、排気装置を取り付けることを大工に頼んでいるが、まだそれが取り付けられていないことを話し、「おふろばに換気孔がないから気をつけてくださいね。」と言って注意を喚起した。吉田アサ子は、同月一六日、本件浴室で、前認定のように一酸化炭素中毒によって死亡した。
右に認定した事実に基づいて被告田中、同並木、同永井の本件事故に対する責任の有無について考えるに、被告並木は、本件建物の建築工事を請け負い、ガスふろがまを使用する本件浴室を建築した者であるが、密閉された浴室内でガスふろがまを点火して燃焼するときは、燃焼に必要な空気量が不足して不完全燃焼を起こし、有毒な一酸化炭素が発生して危険であることを当然予見すべきであるから、浴室を建築してガスふろがまを設置するに当たっては、ガスの不完全燃焼による中毒事故を防止するため、本件事故後に行なわれたような換気、排気装置設置工事を行なうべき義務があり、被告永井も、本件建物の建築工事を被告並木に注文し、完成した本件建物を被告田中に売り渡した者として、事故が生じないように、換気、排気装置の完備した瑕疵のない浴室を建築させ、これを売り渡すべき義務がある。また、被告田中は、本件建物の所有者であり、吉田アサ子に対する賃貸人であったので、ガスふろがまを使用する浴室付の居室を賃貸するに当たっては、事故が生じないように、換気、排気装置の完備した安全に入浴し得る浴室を賃借人に提供すべき義務があり、この義務は、被告田中が被告永井、同並木に対して本件浴室に換気、排気装置を取り付けることを何度も依頼し、賃借人である吉田アサ子に対しても入浴上の注意を喚起したからといって免れ得るものではない。それなのに、右被告三名は、それぞれの義務を怠り、本件浴室に換気、排気装置がないためにガスの不完全燃焼による中毒事故が発生する危険があることを十分認識しながら、相当長期にわたって、これを防止するための換気、排気装置の設置を怠っていたものであるから、本件事故の発生について過失があり、これによって生じた損害を賠償すべき義務がある。
四 被告会社の責任について
1 原告は、被告会社に対し、排気設備、換気設備がない本件浴室にガスの配管工事をした過失があると主張する。
《証拠省略》によれば、被告会社の指定を受けてガスの配管工事をしている信和商工株式会社高井戸営業所の工事人関根一夫ほか二名は、昭和四七年一〇月二六日付で使用者被告田中、工事費負担者被告永井としてガスの新設工事の申込みを受け、他社が右申込みに基づいて作成した工事装置図を持参して、同年一二月二八日、ガスの配管工事をするために本件建物に赴いたこと、当時、本件建物は、まだ新築工事中であって、二階部分は、ほぼ完成していたが、一階部分は、未完成の状態にあり、本件浴室にはタイルも張られていなかったこと、関根らは、工事装置図に基づいて本件建物の一、二階各居室の浴室、勝手のガス台、湯沸かし器部分などに配管工事をしたが、本件浴室が本件建物の中央部にあって、まだ換気設備が設けられていなかったので、配管工事の立会人に対し、「このふろばは、換気設備を付けないとまずいですよ。」と言って注意したこと、関根らとしては、ガスの配管工事をしたときは、本件浴室がまだ未完成の状態にあったので、これが完成するまでには当然換気扇とか煙突などの換気設備が設けられるものと思って配管工事をしたものであり、配管工事について工事設計をした他社の辻町営業所でも、工事設計の段階において換気口、煙突などを取り付けるように注意して、配管工事申込者の了解を得ていることが認められ、右認定に反する証拠はない。
右に認定した事実によれば、ガスの配管工事がされた当時、本件建物は、まだ新築工事中であって、本件浴室も未完成の状態にあったから、この段階において、本件浴室に換気設備があるかどうかを判断することは不可能であり、配管工事をした工事人は、一応、立会人に対し、換気設備を設けるように注意して配管工事をしているので、その措置に過失はないというべきである。しかも、被告会社が主張するとおり、建築基準法第二八条第三項は、浴室には換気設備を設けなければならない旨規定しており、建物の新築に当たっては、建築確認申請(同法第六条)及び完了検査(同法第七条)の手続を通じて、建築主事による厳重な監査がされることになっているのであるから、被告会社としては、このことを前提として配管工事をすれば足り、換気設備が設けられるまで配管工事を拒絶すべき理由はないというべきである。
2 原告は、被告会社に対し、その安全を確認しないで排気設備、換気設備がない本件浴室にガスを供給した過失があると主張する。
ガス事業法第一六条第一項は、「一般ガス事業者は、正当な事由がなければ、何人に対しても、その供給区域又は供給地点におけるガスの供給を拒んではならない。」と規定するので、被告会社が吉田アサ子に対してガスの供給を拒絶するには、正当な事由その他ガスの供給を拒絶すべき根拠がなければならない。原告は、その法律上の根拠として、ガス事業法第四〇条の二第四項及び同法施行規則第八五条の規定を挙げるので考えるに、ガス事業法第四〇条の二第四項は、「ガス事業者は、その供給するガスによる災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において、その供給するガスの使用者からその事実を通知され、これに対する措置をとることを求められたときは、すみやかにその措置をとらなければならない。自らその事実を知ったときも、同様とする。」と規定し、ガス事業者に対してガスによる災害に関する緊急措置をとるべき義務を課している。しかし、同項の趣旨からすると、ここにいう「ガスによる災害が発生するおそれがある場合」とは、被告会社が主張するとおり、漏れたガスのにおいが強くするとか、ガス管が破損して現にガスが漏れているとかというようなガス事故に直結する差し迫った災害の危険がある場合を指すものと解せられる。本件事故の場合、第二項で認定した前記鑑定の経過及びその結果によれば、ガス配管用ゴム管、ガスふろがまの器具自体からの生ガスの漏洩は認められず、器具内バーナーの一次空気孔などにも異常がなく、本件浴室内のガス栓、ガス配管、バーナーその他のガス供給施設及びガス機器には異常がなかったし、ガスの使用者である吉田アサ子が、賃貸人である被告田中に対し、本件浴室に必要な換気、排気装置を設置するように要求し、それが設置されるまでの間、ガスふろがまで湯を沸かすことを断念するか、或いは、湯を沸かして入浴するとしても、前の居住者である石井孝弘一家がしていたように、本件浴室入口のドアを開け、換気に注意して入浴するならば、ガスによる災害の発生を防止できたのであるから、未だ災害の発生が差し迫った状況にはなく、このように、ガスの使用者がガス事業者に対して緊急措置を求めるまでもなく、自ら措置を講ずることにより、又は自らの注意によって災害の発生を防止できる場合には、同項の「ガスによる災害が発生するおそれがある場合」には当たらず、同項所定の義務が被告会社にあったものと断ずることはできない。次に、ガス事業法施行規則第八五条(本件事故当時のもの。以下同じ。)は、ガスふろがまに関し、「法第四十条の二第二項の通商産業省令で定める技術上の基準は、次のとおりとする。一 次の消費機器であって屋内に設置されているものには、有効な排気が行なわれる措置が講じられていること。イ(省略)ロ ガスふろがま」と規定している。これによれば、ガス事業法施行規則第八五条は、ガス事業法第四〇条の二第二項の規定に関するものであって、同条第四項の規定に関するものではなく、同条第四項に定める「ガスによる災害が発生するおそれがある場合」と右施行規則第八五条との間には何らの関連もないことがその規定自体から明らかである。以上のように、被告会社が本件浴室にガスを供給すべきでなかったとする原告の主張は、法律上の根拠がないといわなければならない(なお、被告会社が本件浴室にガスの配管工事をすべきでなかったとする原告の主張についても、これと同様である。)。更に、被告会社が詳細に主張するとおり、ガス事業法第一六条第一項、第四〇条の二第一項ないし第三項、第四〇条の三の規定に照らすとき、ガスふろがまなどの消費機器がガス事業法施行規則第八五条所定の技術上の基準(有効な排気が行なわれる措置が講じられていること。)に適合していないとの事実は、それだけでは、ガス事業者がガスの供給を拒絶すべき正当な事由には当たらないといわざるを得ず、本件事故の場合、吉田アサ子に対するガスの供給を拒絶すべき理由はなかったと認められるから、同女に対してガスを供給した被告会社の措置に過失はないというべきである。
3 原告は、被告会社に対し、ガス浴室の使用に関する周知義務の懈怠があると主張する。
《証拠省略》によれば、被告会社新宿営業所の委託を受けた有限会社佐竹製作所の作業員髙橋茂は、昭和四九年四月一五日、吉田アサ子の申込みを受けてガス開通のために本件建物の同女の居室に赴いた際、本件浴室に換気設備が設けられていなかったので、同女に対し、ガスふろがまに煙突が付いていないので危険であることを警告するとともに、「ガスは正しく使いましょう」と題するガス保安上の注意事項を記載したパンフレットを手渡したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
右に認定した事実によれば、被告会社にガス浴室の使用に関する周知義務の懈怠があると認めることはできない。
4 原告は、被告会社に対し、ガス器具などが良好な状態に維持されているかどうかの点検義務の懈怠があると主張する。
原告の右主張は、ガス器具などが良好な状態になかったことを前提として成り立つものであるが、本件事故の場合、第二項で認定した前記鑑定の経過及びその結果によれば、ガス配管用ゴム管、ガスふろがまの器具自体からの生ガスの漏洩は認められず、器具内バーナーの一次空気孔などにも異常がなく、本件浴室内のガス栓、ガス配管、バーナーその他のガス供給施設及びガス機器には異常がなかったのであって、本件事故の原因は、ガス器具などの不良によるものではなく、本件浴室には必要な換気、排気装置の未設置及びガス使用上の不注意によるものと認められるから、ガス器具などの不良を前提とする原告の主張は理由がない。
5 以上のとおりで、原告が主張する被告会社の過失は、いずれも認めることができないから、被告会社には、本件事故に対する責任がないといわなければならない。
五 被告水島の責任について
《証拠省略》によれば、被告水島は、タイル工事店を営むかたわら、ふろがま及び浴槽を販売する業者であるが、昭和四七年一一月ころ、かねて新築工事現場でふろがまなどを注文していた被告並木から、本件浴室に設置するガスふろがま及び浴槽の注文を受けたので、ふろがまについては代金一万七、〇〇〇円、浴槽については代金二万〇、四〇〇円で被告並木に売り渡し、まだ浴室入口のドアも設置されておらず、未完成の状態にあった本件浴室に右ふろがま及び浴槽を持ち運んで取り付けたこと、被告水島は、その際、被告並木から、ガスふろがまの煙突や本件浴室に換気、排気装置を取り付けることまでも請け負ったものではないことが認められ、右認定に反する証拠はない。
ところで、原告は、被告水島に対し、本件浴室が本件建物の中央部にあって、排気設備、換気設備がないことを知りながら、燃焼した排気ガスが浴室内に充満する不完全なガスふろがまを設置した過失があると主張するが、前認定のとおり、被告水島が売り渡したガスふろがまの器具自体からの生ガスの漏洩は認められず、器具内バーナーの一次空気孔などにも異常がなかったのであるから、原告の主張は理由がない。また、被告水島は、ガスふろがまを被告並木に売り渡しただけであって、煙突や換気、排気装置の設置工事までも請け負ったものではなく、《証拠省略》によれば、被告田中、同永井からも何の注文も受けなかったことが認められるから、ガスふろがまの注文者が建築業を営む被告並木である以上、煙突や換気、排気装置の設置工事については、その分野の知識と技術を持った専門家である被告並木の措置に任せても差支えがないというべきである。そうすると、ガスふろがまを販売するについての過失も認めることができないから、被告水島には、本件事故に対する責任がないといわなければならない。
六 損害
1 吉田アサ子の逸失利益
一、三五七万二、〇六六円
《証拠省略》によれば、吉田アサ子(昭和一六年一一月一五日生)は、本件事故当時満三二歳の健康な独身女性であって、東京都新宿区内のキャバレーでホステスとして勤務し、事故前六か月間(昭和四八年一〇月から昭和四九年三月まで)を平均して一か月二〇万二、八四八円の給与を得ていたこと、同女は、通信教育で高等学校に学び、美容師の資格を取得しており、これまで親元を離れて群馬県高崎市、神奈川県川崎市や東京都内で美容師をしており、昭和四六年ころ、手指が負傷したことから友達に薦められてホステスになったようであるが、長期間ホステスを続ける意思はなく、金をためたら早くホステスをやめて再び美容師になり、独立して開業したいとの希望を有し、死亡当時約一五〇万円の貯金をしていたことが認められる。
右に認定した事実によれば、吉田アサ子が原告主張のように満四六歳になるまでもホステスとして勤務することを推認することは期間が長過ぎるので、同女が満三五歳になるまでホステスとして勤務することを推認するのが相当であり、その間(昭和四九年四月一六日から昭和五一年一一月一四日までであるが、これを二年七か月とする。)の月収二〇万二、八四八円、その職業柄、化粧代、衣裳代などの必要経費を要するはずであるが、この点について特段の主張・立証がないので、これを二五パーセントと推認し、生活費として必要経費を除いた収入の五〇パーセントを控除して計算すると(なお、原告が昭和五〇年二月一八日から遅延損害金の支払を求めているので、その月収については、便宜上、七か月分について中間利息を控除せず、二年分についてライプニッツ式計算法によって年五分の割合による中間利息〔ライプニッツ係数一・八五九四〕を控除して現価を計算した。)、右期間中の同女の逸失利益は、二二二万九、七六六円(円未満切捨て)になる。また、右に認定した事実によれば、吉田アサ子は、更に満三五歳から満六七歳になるまで働くことができたと推認されるが、その資格、職歴などからすれば、同女は、ホステスをやめた後においても、少なくとも昭和五三年賃金構造基本統計調査報告に基づく「年齢階級別きまって支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」による女子労働者(学歴計)と同額の収入を得ることができたはずであると推認し得るので、これを基礎に、生活費として収入の五〇パーセントを控除し、ライプニッツ式計算法によって年五分の割合による中間利息を控除して、右期間中の同女の逸失利益の現価を計算すると、別表Ⅱ記載のとおり一、一三四万二、三〇〇円になる。
《証拠省略》によれば、原告は、吉田アサ子の母であり、同女の権利義務を相続したことが認められるので、原告は、吉田アサ子の右損害額合計一、三五七万二、〇六六円の逸失利益の損害賠償請求権を相続によって取得したというべきである。
2 葬儀費用 二三万五、八三五円
《証拠省略》によれば、原告は、吉田アサ子の葬儀を行ない、その費用として二三万五、八三五円を支出したことが認められる。
3 慰謝料 三〇〇万円
吉田アサ子の死亡によって原告が多大の精神的苦痛を受けたことは容易に推認されるところ、本件事故の態様、被告田中、同並木、同永井の過失の内容及びその程度など諸般の事情(ただし、吉田アサ子の後記4の過失の点を除く。)を考慮すると、その慰謝料は、三〇〇万円が相当である。
4 過失相殺
既に認定した事実によれば、本件浴室内及び浴室入口のドアには換気、排気装置がなく、ガスふろがまの排気筒が浴室内に排気されるために燃焼に必要な空気量が不足して不完全燃焼を起こし、有毒な一酸化炭素が発生する危険な状態になっており、このことは、吉田アサ子においても当然予見し得ることであるから、同女としては、ガスの不完全燃焼による中毒事故の発生を防止するため、他人から注意を受けるまでもなく、本件浴室に必要な換気、排気装置が設置されるまでの間、ガスふろがまで湯を沸かすことを断念するか、或いは、湯を沸かして入浴するとしても、前の居住者である石井孝弘一家がしていたように、本件浴室入口のドアを開け、換気に注意して入浴すべきであったというべきである。それなのに、吉田アサ子は、賃貸人である被告田中から、本件浴室の換気に気をつけて入浴するように注意を受け、また、ガス開通のために同女の居室に赴いた作業員髙橋茂からも、ガスふろがまに煙突が付いていないので危険であることを警告され、ガス保安上の注意事項を記載したパンフレットを手渡されながら、安全について十分に注意を払うことなく、本件浴室のドアをわずかに開けただけでガスふろがまで湯を沸かして入浴し、浴室内に発生した一酸化炭素によるガス中毒によって死亡したのである。そうすると、本件事故の発生については、吉田アサ子にも重い過失があったものといわざるを得ず、その過失及び本件事故の態様を考慮すると、原告が被告田中、同並木、同永井に対して賠償を求め得る損害金は、右1ないし3の損害額合計一、六八〇万七、九〇一円から二〇パーセントを控除した残額一、三四四万六、三二〇円とするのが相当である。
5 弁護士費用 一三四万円
《証拠省略》によれば、原告は、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に委任し、その着手金として五万円を支払い、勝訴のときに認容額の一〇パーセントを支払うことを約したことが認められるが、本件事案の内容、訴訟の経過及び認容額その他の事情を考慮すると、原告が被告田中、同並木、同永井に対して支払を求め得る弁護士費用は、一三四万円が相当である。
七 結論
以上によれば、原告の本訴請求は、被告田中、同並木、同永井に対し、各自、一、四七八万六、三二〇円及び右金員から既に着手金として支払った五万円を除くその余の弁護士費用分一二九万円を控除した残額一、三四九万六、三二〇円に対する昭和五〇年二月一八日から、右一二九万円に対する本判決言渡しの日である昭和五五年一〇月三一日から、各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、右被告三名に対するその余の請求及び被告会社、同水島に対する請求は失当なので棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 安達敬)
<以下省略>